ざっくり箱

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継母への詫び状[18歳の特攻隊員]

18歳の特攻隊員の遺書  昭和20年5月4日出撃戦死

   
   遺書 
   母を慕いて


   母上お元気ですか
   永い間本当に有難うございました
   我六歳の時より育て下されし母
   継母とは言え世の此の種の女にある如き
   不祥事は一度たりとてなく
   慈しみ育て下されし母
   有難い母 尊い母

   俺は幸福だった
   遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
   幾度か思い切って呼ばんとしたが
   何と意思薄弱な俺だったろう
   母上お許し下さい
   さぞ淋しかったでしょう
   今こそ大声で呼ばして頂きます
   お母さん お母さん お母さんと  




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  1. 2011/05/17(火) 22:52:20|
  2. 手紙 ~message~

出撃前に思うこと[22歳の特攻隊員]

$げんのブログ-知覧特攻2
鹿児島県知覧に特攻平和会館がある。
特攻隊員の遺書・遺品、写真、関係資料などが展示されており、
1日1000人以上の入館者が訪れるという。

知覧特攻隊の隊員は、17歳~30歳の若者ばかり。
出撃したのは昭和20年3月から7月にかけて。
終戦の数ヶ月前のことである。



22歳の隊員の遺書(※抜粋)  
昭和20年6月6日出撃戦死 

   あんまり緑が美しい
   今日これから
   死にに行く事すら
   忘れてしまいそうだ。
   真っ青な空
   ぽかんと浮かぶ白い雲
   六月の知覧は
   もうセミの声がして
   夏を思わせる。
      作戦命令を待っている間に

   小鳥の声がたのしそう
   「俺もこんどは
    小鳥になるよ」
   日のあたる草の上に
   ねころんで
   杉本がこんなことを云っている
      笑わせるな
   本日一三時三五分
   いよいよ知ランを離陸する
   なつかしの
   祖国よ
     さらば
   使いなれた
   万年筆を“かたみ”に
        送ります。



$げんのブログ-知覧特攻1
  1. 2011/05/17(火) 21:56:44|
  2. 手紙 ~message~

ジャイアンへの表彰状[山下泰裕の級友]

げんのブログ-山下泰裕山下泰裕といえば「前人未到の連勝記録」「国民栄誉賞」など、
近代柔道の象徴的な存在として知られる。
温厚な人柄がにじみ出ているような風貌だが、
意外にも少年時代はかなりの問題児であった。
家の前を通る女の子めがけ2階から小便をかけるなど悪さばかり。
小1の時にすでに小6並みの体格で
「山下が怖い」と登校拒否する子が出るほど。
まさに“リアル・ジャイアン”だったのだ。
同級生の親から苦情の電話が鳴り、
山下の親はたびたび学校に呼び出された。
両親が「このままでは、とんでもない大人になる」と、
町の柔道場へ通わせ始めたのが、ガキ大将の転機に。
持ち前の体格と運動神経を発揮し、山下少年は柔道にのめり込むようになった。

山下「柔道着を着て先生の指示に従って決まりを守っていれば、
いくら暴れまわっても誰からも何も言われない。
柔道は私のあり余る闘争心とエネルギーを充分に燃焼させてくれたんです」


後に山下は、圧倒的な強さで連勝街道を突き進み
「次のオリンピック、金メダル間違いなし」と言われていた。
が、不幸なことに当時は冷戦時代。ソ連開催のモスクワ五輪を、日本はボイコット。
山下の出場はかなわず、記者会見で涙ながらに悔しさを語った。
それから4年後の1984年。ロス五輪に出場。
2回戦で肉離れをおこし、顔には痛さを出さなかったが満足に戦える状態ではなかった。
それでも決勝まで勝ち進み、ラシュワンを一本で破り、念願の金メダルを獲得した。

帰国後、故郷・熊本へ帰った際、小学校時代の同級生たちが祝賀会を開いてくれた。
そこで山下は一枚の表彰状をもらった。

表彰状 山下泰裕殿
 あなたは小学生時代、その比類稀なる身体を持て余し、
教室で暴れたり仲間をいじめたりして我々同級生に多大な迷惑をかけました。
 しかし今回のオリンピックにおいては、我々同級生の期待を裏切るまいと、
不慮の怪我にも拘らず持ち前の闘魂を発揮して、見事金メダルに輝かれました。
 このことはあなたの小学生時代の数々の悪行を清算してあり余るだけじゃなく、
我々同級生の心から誇りとするものであります。
 よってここに表彰し、偉大なるやッちゃんに対し最大の敬意をはらうと共に、
永遠の友情を約束するものであります。



山下「ここに書かれているのが小学校時代の私のありのままの姿だったと思うんです。
こんな私が柔道を真剣にやり始めて、素晴らしい恩師と出合って
柔道そのものの魅力に惹かれて段々だんだん変っていきました」


過去の名声にとらわれるのが嫌いな山下は、柔道の大会で得た
トロフィーやメダルなどは一切、部屋には置いてない。
が、友人たちから贈られた、この表彰状だけは飾っているという。
  1. 2011/05/16(月) 19:21:05|
  2. 手紙 ~message~

88歳のラブレター[武者小路 実篤]

げんのブログ-実篤2
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)は
本来、小説家なのだが、
“仲よき事は美しき哉”など
朴訥とした書画のほうが有名。

今でいう「絵手紙」の元祖のような人だ。





実篤は88歳の時、入院した妻・安子(72歳)にこんな手紙を送っている(※抜粋)


げんのブログ-実篤3
   
           この頃はお前の事を考えるとまづ頭の中に涙がうかんでくる。
           悲しい涙ではないが、涙は自ずとうかんで来、お前は元気に
           していてくれるだろうと思う。僕も元気にお前の事を考える
           事にし、ふたりはいつも楽しい気持で元気に勇気づけ、楽し
           い事を考え、いつも笑つて話したい…(略)…僕は君を信用
           し二人で進んでゆきたいと思う。

   

安子の病は癌であった。
いったん退院するが、入退院を繰り返し昭和51年、逝去。

そして、その2か月後。昭和51年4月9日。
桜舞う頃、実篤は91年の生涯を閉じた。

実篤の没後、家族が 遺品を整理していたら、
机の中から 妻に宛てた書き損じの手紙が出てきた。

そこには次のような文面が したためられていた。

               僕は君を本当に愛している。
               この事は益々事実になる。
               本当に君を一番愛していた事を
               前からも知つていたが、今度益々知つた。
               本当にわかれて住む事はさびしい。
 
げんのブログ-実篤1



げんのブログ-実篤5



  1. 2011/05/16(月) 12:26:37|
  2. 手紙 ~message~