ざっくり箱

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原田芳雄と松田優作と香川照之と

げんのブログ-ボクたちの時代2
原田芳雄、最後のテレビ出演
となった『ボクたちの時代』。
「大鹿村騒動記」で共演した
大楠道代、岸部一徳と
映画・芝居などについて語った。


流れに身をまかせ役者の道へ
(もともと)映画に興味なかったし、演劇少年でもなかった。
(高校の頃)年20回くらい山へ入ってた。
卒業したら山小屋やって、生涯過ごそうと思ってたわけ。
そしたら山の開発が始まっちゃって。挫折して…。

近所にアマチュアの演劇の集まりみたいなのがあって、
そういうのに連れていかれてね。
徐々に徐々に、なんとなく、
こういうとこ(演劇界)に入ってきちゃった。

役者を40何年やってきて今さら言うのもなんだけどさ、
いちばん向いてないことをやってると思ってんだよ。いまだに。
選択してこの道を選び取ってきたわけではないから。


音楽畑出身の役者について
ミュージシャンの人たちが、
映画に出ていい仕事してるじゃないですか。
やっぱり、わかる気がしますよ。
川の流れで言えば「上流」の方の遊びなんだね、音楽は。
上から下への流れで入ってくるから、
ミュージシャンが芝居やるのは割りとスムーズなの。
だけど下流(役者)から上流(音楽)は、
シャケの溯上みたいなもんで、そう簡単にやれやしないですよ。


げんのブログ-村歌舞伎

映画人を続けることの面白さ
映画とか演劇とか「集団の遊び」じゃないですか。
やっぱり(大事なのは)遊び相手ですよね。
子供が学校から帰ってきてカバン放り投げて「さぁ、誰と遊ぶか」と。
自分の思い決めてることなんて、たかが知れてるんだよね。
あんまり信用できない。
いろんな他人の才能を取り入れてバーンとぶつかることによって、
自分の思いもよらないものが生まれる時っていうのが…
そういうのがほしいわけでしょ。それを“現場”っていうんだよね。
何が生まれてくるのかわからない。だから面白いんだと思う。

撮影始まって4日ぐらいして
「こういう映画になりそうだな」とわかるのは、
たいがいうまくいってない。
「どういう映画になるのかわからない」っていう場合、
出来上がったのをみると大きく裏切られてるとかね。
そういうことが起こるから。それを欲しがってるんですよね、何か。

若い人でも、初めて見るような新鮮な芝居やる人がいる。
ものすごく刺激受けますね。最初、浅野(忠信)君とやったとき、
あのビビッドさ…ビシビシ伝わってくるね。非常に衝撃的だったし。

「これからどういう役やりたいですか」ってよく聞かれるんですけど、
あんまりないんだよね。(やりたいのは)役じゃないんだよ。
“初対面”だね。そういうものに出会いたい。
映画ってほんとに“作る”って感覚じゃない。不思議なもんだよ。

(年齢的に)これから段々、体も動かなくもなるし。
動かなくなるから何かができなくなるんじゃなくて、
動かないことで何かできることになればいい、ってのはありますけどね。


げんのブログ-ボクたちの時代1

いろんな人が集う原田家
戦争のとき、栃木に疎開したんだよ。
関東平野の典型的な農村です。
地域性がものすごい強いところで育ってるでしょ。
“ひとつの家庭”の中で育ってるわけじゃない。
家族関係というのは、必ずしも血縁関係に限らない。

自分の劇団みたいなの作るようになると、
それがウチに集まるようになって…。
家に帰ると、俺が出てない映画の二次会やってたりする。
昔で言えば寄り合い場みたいなものだね。
それはそれで、いいんじゃないかな。
(そんな環境で育ったから)ウチの長男なんて、
みんなといっしょになって「芳雄」って呼び捨てにするわけ。
あえて修正しないでいた。

それでいいと思ったのはね…こういう生業やってると
「お父さん」と呼ばれると「お父さん」になってくんだ。
「父ちゃん」って言ったら「父ちゃん」になっちゃうんだよ。
それを「芳雄」って言うんだから「芳雄」になるしかない。
「芳雄になる」って、どういうことかわかんないんだけど(笑)。

最後に残るのは「人間関係」しかないんだよね。
それ以外、何にも残んないって。


げんのブログ-タモリ倶楽部
鉄道マニアの原田が唯一出ていた
バラエティ番組「タモリ倶楽部」。
息子の喧太、懇意にしている松尾貴志らと出演。

(地下鉄を貸し切り東京メトロツアー)
松尾「喧太、感想は?」
喧太「たまんないっスね」
原田「よかったな」
(一同、笑)
タモリ「小っちゃい子じゃ
    ないんだから」
松尾「ふつうの親子の会話(笑)」











げんのブログ-原田芳雄原田芳雄の死は、松田優作の訃報を知った時と同様な喪失感がある。
自分的には、原田芳雄は“松田優作の最後の生き証人”みたいな思いがあったからだ。
実際は、原田のほうが優作より先輩だし、影響を受けたのは優作のほうではあるのだが。
二人は、役者としての“在り方”が似ていたと思う。
原田が試写会で、車いすで舞台挨拶に現れたとき、あまりの激ヤセぶりに驚いた。
短期間でここまで衰弱してしまうものなのか、と。
後日、「大鹿村騒動記」は痛みと闘いながらの撮影であったことがあかされたが、
本人は「これが最後になるかもしれない…」という思いがあったのかもしれない。
この映画の企画は自ら持ちかけ、阪本監督に「早く撮ってくれ。
俺はもう時間が限られてるから」と急かしている。
げんのブログ-ブラックレイン撮影中、原田には松田優作のことが胸に去来してたかもしれない。
優作も、最後の映画「ブラックレイン」はガンの痛みとの闘いだった。
病気のことはごく近親の者しか知らず、撮影中はできるだけ副作用の少ない薬だけを飲んでいた。
それでも何種類ものカプセルを服用しており、スタッフには「これは栄養剤だ」と偽っていた。
最後の撮影となった「マイケル・ダグラスとの格闘シーン」は
3日間にも及び、毎日、雨水と泥まみれ。過酷なロケとなった。

「ブラックレイン」のアソシエイト・プロデューサーの談話
ある日、トイレに入ったまま出てこなかった。
ノックして「大丈夫ですか、優作さん」と声をかけると
「ほっといてくれ!」と叫んだんです。
出てきたとき、あきらかに激痛を感じていたようでした。
撮影の終盤では、以前の大好きな優作さんとは別人のようで。
怒ることが多く(その時は)理解できませんでした。
私たちのような身近なスタッフには、
苛立ちや痛みを見せていたけど、表では平然としていました。


原田芳雄と松田優作には、ちょっと異なる部分もある。
原田は「いちばんイヤなのは“兄の立場”に追いやられること」と言っている。
いつまでも「芳雄」と呼ばれるような感じでいたかったのだろう。
一方、優作は、複雑な出自の影響もあってか「父的な存在」に自然となっていった。
げんのブログ-香川照之そのことを、優作(最後の)ドラマで共演した香川照之が、
NHK『ラストデイズ』という番組で語っている。
香川「(現場の)全部に責任を持って
   いた。だから一対一の関わりを、
   僕のようなペーペーにもしてく
   ださったし」


香川はずっと“父性”的なものに飢えていた。
彼は「父は市川猿之助、母は浜木綿子」というサラブレッド的な見方をされがちだが、
2歳のとき両親が離婚しており母子家庭で育っている。
母親は多忙で不在がち。孤独な少年期を過ごしている。

香川「父親を知らなかったんですよ、ずっと。優作さんに会って、俺は
   優作さんのことを父親だと一瞬思ったの。この人に聞けば何でも
   答えてもらえるんだ、と。初めて人生で父親を見つけたと思った
   ら、2か月で逝っちゃうからさ…」

  「25歳ぐらいの時に思い立って、歌舞伎やってる彼(市川猿之助)
   のとこに会いにいったんですよ。そしたら“あんたは俺の子供じ
   ゃないから。あんたを捨てたとこから俺の人生は始まってるんだ
   から、来ないで”って。いかに私の人生、父親というものに縁が
   ないか、と…」


香川は番組の最後に、優作の妻・松田美由紀のもとへ話を聞きに行った。
げんのブログ-松田美由紀

美由紀「優作の生い立ち聞いたとき…私は普通の家庭に育ったんで信じ
    られなかったわけ。聞いてるうちに具合悪くなって。もうなん
    か、キャパを超えちゃって…。
   “偉いね、優作”“ここまでよくがんばってきたね”って言った
    の。そしたら“俺は褒められるのか?”と言って。“俺は褒め
    てもらえるのか?”って言って…。
    これ、女の人だったらどうしようもないでしょ(笑)。愛すし
    かないよね…」

   「人間って一度でも本当の愛に会えば生きていけるのよ。それが
    親の愛かもしれないし、旦那さんからの愛かもしれないし」


げんのブログ-ラストデイズ

香川「優作さんが“お前は俺になれる”と言ってくれた意味がいまだに
   わからない。多分、大きな意味で“責任”を持つってことだよね。
   善的な責任をもって生きる。つなげていく存在であれ…というこ
   とですよね。後輩たちにとって、僕自身が現場で父親的な存在に
   ならなければいけない。(今、自分は)優作さんの歳をこえて、
   がんばって父親のような存在になっていきます」


げんのブログ-松田優作

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  1. 2011/07/24(日) 17:05:00|
  2. 芸能

 芳雄へ    [石橋蓮司]

           原田芳雄の盟友・石橋蓮司の弔辞
          $げんのブログ-告別式2


    原田芳雄に向かって…自分が弔辞を言う…。

    こんな馬鹿げた、悪ふざけはあるだろうか。

    「弔辞」という文字も正確に書けなかったし、
    弔辞とは「故人の業績を讃え人に伝える」とあったが
    今、芳雄の業績なんか讃えたくもないし 人に伝えたくもない。

    ただただ…

    ただただ…

    お前が今 ここにいてくれればいい。

    お前が今ここにいて「これは冗談だ」と言ってほしい。

    それが芳雄。
    家族に対して…また俺たち仲間に対しての最大の業績だよ。

    ほらみろ。

    破たんしてしまったじゃないか。お前が悪い…。

    じゃあ、こうしよう。
    これは映画の一場面として、アドリブで何かしゃべってみるよ。

    芳雄。
    おまえと一緒にやった映画、全部うまくいったな。
    そして最新作「大鹿村騒動記」。
    あの2週間。
    お前が病魔と闘いながら作品に挑む姿は
    感動的だったし、凄みさえ感じたよ。

    あの映画の原案は芳雄だと聞いて 
    台本を読んだとき、正直言って俺にはよく分からなかった。
    なぜ芳雄が、そこにこだわるのか。
    なぜそこまでこだわるのか、よく理解できなかった。

    でも完成試写を見たとき、
    何か、心がふるえるのを感じたよ。
    今も感じている。

    それはあの2カ月後、日本が未曽有の大災害に襲われ、
    多くの村々が壊滅的打撃を受けてしまった。
    そして今、その、各村々の方々が 一緒に手を取り合って、
    過酷な環境の中、苛烈な現実を乗り越えようと 
    一生懸命がんばってらっしゃる。

    しかも 遊びを取り入れながら…その力の源はなんなんだ。
    どうしてそうできるんだろうか。
    この映画でその源の一端を 
    ほんのささやかでも、提示できたのではないだろうか。

    このように原田芳雄は 直感力が鋭く…動物的勘と言ってもいい。
    いつも 人の心の 活断層の軋みを 
    誰よりも早く聞き取り、そして予感し、
    具体的な作品におこして、見事肉体化してみせたよな。

    芳雄。
    お前の力と身体は まだまだ日本の映画界に必要だよ。
    お前が次回作、どんなことをやりたかったのか、
    どんな声を聞き分けていたのか、何を予感していたのか。
    これから…

    家族の方々に教わって…章代、喧太、麻由にいろいろ教わって、
    具体的な映画になれるよう、俺も含めて一生懸命がんばってみるつもりだ。
    具体的になったらば、すぐに報告にいくから、
    それまで少し、ほんのちょっとだけ 休んでててくれ。

    また破たんしそうだからこれでやめる。

    芳雄。
    だらしなくてごめん。

         げんのブログ-告別式1



  1. 2011/07/24(日) 17:00:00|
  2. 手紙 ~message~