ざっくり箱

テレビ・芸能・映画など エンタメ系情報をメインにお届けします。

かつて弟だった妹へ [佐藤かよの兄]

げんのブログ-佐藤かよ1性同一性障害であることを
カミングアウトした、モデルの佐藤かよ。
家族の中では、母親がいちばん理解を示してくれていたが、
それでも時には「なぜ女の子に生んでくれなかったの」と
当たったこともあったという。
「徹子の部屋」に出演した際、
兄からの手紙を黒柳徹子が代読した。



    げんのブログ-佐藤かよ2

   こうして手紙を書くのは初めてだね。

   今思うと、おまえはセーラームーンの真似をして、
   女の子の絵ばっかり描いて、
   赤やピンクが好きな 少し変わった弟だったね。

   だから おまえが女性に変わっても驚きはしなかった。
   むしろ「やっぱりなぁ…」と納得したような気持ちだったよ。

   ただ当時の おまえの行動、言動で
   母を悲しませたり悩ませてるおまえが嫌いだった。
   しゃべりたくなかった。
   何年間か、話さない時期があったよね。

   でも、おまえがひとつひとつ
   壁を乗り越えていくようになるのを見ていて、
   おまえのことを考えたよ…

   考えたけど、
   おまえの気持ち、境遇、つらさは理解できない。
   きっと他の人とは理解できないくらい つらいんだね。

   おまえはワガママなやつだったと 
   ずっと思ってたけど、
   つらさやコンプレックスを乗り越え 
   ワガママを貫き通した今のおまえは 正直だと思う。
   おまえの存在自体がいろんな人に
   勇気を与えるんだと そんなおまえを誇りに思う。

   将来 僕が結婚しようと思う人やその家族が
   おまえのことを否定したり、理解してくれなかったら
   その人との結婚はやめるよ。
   このことはずっと前から決めています。

                   お兄ちゃんより

    げんのブログ-佐藤かよ4

    げんのブログ-佐藤かよ3

更新は12時か17時-佐藤龍三

更新は12時か17時-佐藤かよ・母



  1. 2011/06/26(日) 21:55:42|
  2. 手紙 ~message~

心にずっと刺さっていたトゲを抜く時 [チャド・マレーン]

げんのブログ-チャド3『やりすぎコージー』の
「実家に泊まろう!」という企画で、
千原せいじが、チャド・マレーンの実家(オーストラリア)へ。
チャドから両親への
ビデオレターを届けた。
その中の一節で、チャドが子供の頃、
父親を傷つけてしまったことの悔恨の言葉が印象的だった。
傷つけられた者より 傷つけてしまった者の心に
ずっと引っ掛かっていた痛みが緩和されていく。


    お父さん、お母さん。
    二人のために手紙を書きましたので今から読みます。

    拝啓 マミー ダディ

    そっちは暑いでしょ。
    年を取るにつれてキツくなるのかな? 違うといいな。

    この手紙を届けてくれた人は「せいじ」という人です。
    せいじさんは兄弟で漫才をやっている
    「残念な兄」として知られています。

    誕生日、母の日、父の日、クリスマス、
    日曜のゆっくりした時間、そして
    お母さんが退院して間もない時、そんな時、
    そばにいなくて…ごめんなさい。

    今までしてくれたすべてに感謝しているし
    今後、もっとその価値がわかってくる気がします。

    小学校4年生の時のことで ひとつ謝らせてください。
    お父さんが休みの日で
    「一緒に学校まで歩こう」と言ってくれた。
    だけど なぜか来てほしくなくて、深い理由もなく断ってしまった。
    その時のお父さんの 
    ものすごく悲しそうな顔が今でも忘れられません…

    ごめんなさい。
    
    二人のことを恥ずかしく思ったことは一度もないし、
    大好きだし、誰よりも大切だし、とっても誇りに思っています。

    たくさん苦労したお父さんとお母さんは
    今まで出会った人たち皆が味方で、
    「人生」というものをよく理解しているように思うし、
    とても楽しんでいると思います。
    僕はそんな二人の生き方を見て学ぶので、そのままで居続けてください。

    LOVEをいっぱい込めて。

    あなたたちの息子。チャドより。

        げんのブログ-チャド1

        げんのブログ-チャド2



  1. 2011/06/26(日) 21:50:11|
  2. 手紙 ~message~

大御所への叱咤激励 [浜田 雅功]

FNS歌謡祭で、徳永英明とデュエットした和田アキ子。
自分の持ち歌(あの鐘を鳴らすのはあなた)であるにもかかわらず、
久々の生放送で緊張のあまり、歌いだしの入るタイミングを間違え
徳永にフォローされながら歌った。
終了後、へこんでいたところへダウンタウン浜田からメールが来た。
粗野な口調の中にも 先輩思いの一面がうかがえる。
アッコはこのメールを保護って、歌う前、緊張してるときに見ているという。



     アッコさん観てましたよ

     何緊張してまんの?

     歌う前から緊張感伝わってましたよ~

     しっかりせぇ!!

     おつかれさま。



また後日、ディナーショーの日にも気づかうメールが送られてきた。


     ディナーショー大丈夫やったか~?

     間違わんと歌えたか~?

     心配させんなよアッコ


げんのブログ-浜田・アッコ
  1. 2011/06/26(日) 21:30:06|
  2. 手紙 ~message~

恩師へ贈る言葉 [森田 一義]

漫画家・赤塚不二夫の葬儀で弔辞を読んだタモリ。
おそらく最初で最後の弔辞になると思われる。


    弔辞 

    8月の2日にあなたの訃報に接しました。
    6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが
    回復に向かっていたのに 本当に残念です。

    我々の世代は、赤塚先生の作品に影響された 
    第一世代と言っていいでしょう。
    あなたの今までになかった作品や その特異なキャラクター…
    私たち世代に強烈に受け入れられました。
    10代の終わりから、我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

    何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、
    歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやったときに
    あなたは突然私の眼前に現れました。
    そのときのことは 今でもはっきり覚えてます。

    「赤塚不二夫が来た…
     あれが赤塚不二夫だ…
     私を見てる…」
    この突然の出来事で、重大なことに 
    私はアガることすら出来ませんでした。

    終って私のとこにやってきたあなたは
    「君は面白い!」
    「お笑いの世界に入れ。
     8月の終わりに、僕の番組があるからそれに出ろ」
    「それまでは住むトコがないから、私のマンションにいろ」
    と、こう言いました。
    自分の人生にも、他人の人生にも
    影響を及ぼすような大きな決断を
    この人は、この場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

    それから長いつきあいが始まりました。
    しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで、
    夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし 
    いろんなネタをつくりながら あなたに教えを受けました。
     
    いろんなことを語ってくれました。
    お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと… 
    他のことも いろいろとあなたに学びました。
    あなたが私に言ってくれたことは
    いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
    そして仕事に生かしております。

    赤塚先生は本当に優しい方です。
    シャイな人です。
    麻雀をするときも 相手のふりこみで上がると
    相手が機嫌を悪くするのをおそれて ツモでしか上がりませんでした。
    あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。

    その裏には強烈な反骨精神もありました。
    あなたはすべての人を快く受け入れました。
    そのために騙されたことも数々あります。
    金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
    しかし あなたから後悔の言葉や 相手を恨む言葉を
    聞いたことがありません。

    あなたは 私の父のようであり 兄のようであり、
    そして時折見せる あの底抜けに無邪気な笑顔は、
    はるか年下の弟のようでもありました。

    あなたは生活すべてがギャグでした。
    たこちゃんの葬儀のときに 大きく笑いながらも
    目からはボロボロ涙がこぼれ落ち、
    出棺のとき たこちゃんの額をぴしゃりとたたいては
    「この野郎、逝きやがった」と
    また高笑いしながら 大きな涙を流していました。

    あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
    あなたの考えは すべての出来事、存在を
    あるがままに 前向きに肯定し 受け入れることです。
    
    それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され
    軽やかになり、また時間は前後関係をたち放たれて
    そのとき、その場が 異様に明るく感じられます。
    この考えをあなたは見事に一言で言いあらわしてます。
    すなわち「これでいいのだ」と。

    いま、ふたりで過ごしたいろんな出来事が、場面が、
    思い浮かばれています。
    軽井沢で過ごした 何度かの正月、伊豆での正月、
    そして海外へのあの珍道中…
    どれもが本当に「こんな楽しいことがあっていいのか?」と
    思うばかりの素晴らしい時間でした。

    最後になったのが京都五山の送り火です。
    あのときのあなたの柔和な笑顔は、
    お互いの労をねぎらってるようで一生忘れることができません。

    あなたは今 この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから
    あぐらをかいてヒジを付き、ニコニコとながめていることでしょう。
    そして私に
    「お前もお笑いをやってるなら、弔辞で笑わせてみろ」
    と言ってるに違いありません。
    あなたにとって「死」もひとつのギャグなのかもしれません。
    私は 人生で初めて読む弔辞が あなたへのものとは
    夢想だにしませんでした。

    私は あなたに生前お世話になりながら、
    ひとこともお礼を言ったことがありません。
    それは、肉親以上の関係であるあなたとの間に、
    お礼を言うときに漂う 他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
    あなたも同じ考えだということを 他人を通じて知りました。

    しかし今 お礼を言わせさていただきます。
    赤塚先生、本当にお世話になりました。
    ありがとうございました。

    私もあなたの数多くの作品のひとつです。

    合掌。
           2008年8月7日 森田一義


げんのブログ-赤塚・タモリ


  1. 2011/06/26(日) 21:25:11|
  2. 手紙 ~message~

美しく 優しく 哀しい旋律 [円谷 幸吉]

マラソン選手・円谷幸吉は、昭和39年の東京オリンピックで銅メダルを獲得した。
参加した日本の陸上選手の中で唯一のメダリスト。国民的ヒーローになった。
が、ラストスパートでイギリスの選手に抜かれたことを悔しがっており。
次のオリンピックでの雪辱に燃え
「国立競技場で、国民の面前で追い抜かれて本当に申しわけなく思う。
そのお詫びをするために、もう一度メキシコで日の丸を揚げるのが国民との約束なんです」と語った。
しかし当時は“スポーツ科学”が発達しておらず、精神論、根性論を優先させていた時代。
オーバーワーク、故障に苦しみ、思うようなタイムは出せなかった。
幸吉には婚約者がいたが、上官に「メキシコ五輪までは交際はならぬ」
「マラソンに打ち込め」と反対され、結果、破談になっている。
当時の常識や価値観を 現代の物差しで単純に測ることは難いが、
不運のぬかるみに足を取られていく様はあまりに痛ましい。
責任感が強く「忍耐」を座右の銘としていただけに、自ら命を絶った幸吉の 
絶望の深さは計り知れない。享年27歳。
家族にあてた遺書からは、生真面目で誠実な幸吉の人柄が あふれ出してくる。



  父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました。
  干し柿 もちも 美味しうございました。

  敏雄兄 姉上様 おすし美味しうございました。

  勝美兄 姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。

  巌兄 姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。

  喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒 美味しうございました。
  又いつも洗濯ありがとうございました。

  幸造兄 姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
  モンゴいか美味しうございました。

  正男兄 姉上様 お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。

  幸雄君、秀雄君 、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
  良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
  光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
  幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
  立派な人になってください。

  父上様 母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
  何卒 お許し下さい。
  気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
  幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

      $げんのブログ-円谷幸吉


  1. 2011/06/26(日) 21:20:18|
  2. 手紙 ~message~
前のページ 次のページ